わたしの12月の目標のひとつでした。
「お父さんに会う」ということ。
普通そんなこと目標にする必要なんてないんですよね。ただまあわたしは、ちょっと仲悪くしてしまっていたものでして。
5年前に単身赴任でいなくなってから、一度も会っていませんでした。
小さいころから感じていた、恐怖心と反抗心
お父さんは几帳面で生真面目、THE理系男子です。ちょっとでも違うことしたら怒られました(まあ当然ですが)。そして普段から無口。これもまたわたし的にはちょっと怖かった。
小学校に入ったころから、わたしに算数を教えてくれるようになりました。
本当に本当に、本当にそれがいやでした。だって、やろうと思ったときに「勉強したか?」とか言うし(某家庭教師のCMと同じこと言ってる…)。せっかく宿題やったのに、追加で問題出してくるし。
今思えば、あれだけ算数を教えてくれたので、数字に苦手意識を持つことがなかったんですよね。
そして、いよいよ「受験」というイベントがやってきます。
中学受験をすすめられ、全力拒否。だってみんなと同じ学校に行きたかったから。
高校受験、”私立お嬢さま女子校”をすすめられ、断固拒否。男女共学の公立の学校を何箇所かまわり、わたしの直感が「ここだよ!」って言っていた高校にしました(ちなみにこれも、もっと偏差値が上のところにしろと反対されています)。
大学受験。
わたしの直感が「ここだよ!」って言っていた大学を見つけていたので、どうしてもそこに行きたかった。無事合格こそつかみ取ったものの「早稲田より慶應の方がいいだろうに…」と、やっぱり不満げ。
就職活動のころはもう全然しゃべらなくなっていたので、結果のみ報告しました。「銀行とかもっと安定したところあるだろう…」とつぶやいてたけど、わたしがやりたいんだから!で、押し切りました。
今ならわかる。
少しでも良い暮らしができるように。良い旦那さんを見つけられるように。安定してて、間違いのない人生をわたしに歩んでほしかったんだろうな。
でも、当時のわたしにはそれらは”押し付け”以外のなにものでもなかった。算数を教えてくれたこともそう。自分が理系だから、理系にしたかったんでしょ、と。
さらに、わたしはそうやってハイスペックを娘に求める理由は、ハイスペックな自分(某国立大卒、大手メーカー勤務)の娘たるもの、当然ハイスペックであるべきだという理想ゆえだと感じていました。なんだよ、わたしはお父さんのステイタスのひとつかよ、と思っちゃってましたね。
お父さんとお母さん、仲が悪かった
物心ついたときから、うちには両親の会話がほとんどありませんでした。わたしや妹を通して話はしているけど、ふたりでの話はない。
さすがに高校生になったあたりで、これはなんかおかしいなと確信。
で、わたしは大学受験に一度失敗していて、浪人をしました。その1年でお母さんといろんなことを話しました。そしたらぽろっと出た本音。
本当は、結婚したくなかったんだって。
ふと、「もうさ、離婚したら?」と。言ってしまった。
お母さんの中で、よぎっては消し、を繰り返していたその選択肢をわたしが言葉にしてしまった。そのことで、完全に気持ちが切れてしまったようです。
それ以来、おうちの中にはますます会話がなくなり、いわゆる家庭内別居のような状況になっていきました。
わたしが大学4年、就職を決めた後ほどなくして、お父さんは単身赴任を選びました。以来一度もおうちに戻ってきたことはありません。
離婚の話も、ふたりの中では”あるようでないもの”として、置いてあるようです。
やっと、会ってみようと思った理由
お父さんが単身赴任をしてから、わたしはわりと冷静に考えるようになっていました。
で、気付いたのが、「わたし、そういえばお母さん側の話しか聞いてないや」ということ。
それは、単純に、フェアじゃない。
わたしとお父さんはたしかに、わたしの人生設計において完全に真逆の考え方をしていたけど、それと家族の関係とは、また違う次元の話じゃないか、と気付きました。
…でもまだ話す覚悟はできなかった。まだわたしの中でお父さんに対してのわだかまりが強かった。
覚悟できなかったけど、
そんなことに気付いたことと、今まで育ててもらったお礼はちゃんと言った方がいいなと思いなおし、就職直前(単身赴任してから半年ちょっと)、お手紙に思いをしたためて送りました。簡単なお返事はもらったけど、このときはこれ以上掘り下げられなかった。
それから約4年半。
一度実家を離れてひとり暮らしをしたこと。仕事を辞める決意をしたこと。その準備のために実家に帰ってきたこと。
立て続けにアクションを取る上で、わたしはこれまでの人生について、自分なりに考察を深めていました。で、そろそろお父さんと話さないといけないかな、なんて思っていた。そんなことを言ったら、後押ししてくれた人がいて。
いまこのタイミングで会うことを踏み切りました。
会ってみて。会ってよかった。
几帳面で厳しくて本当に細かくて怖いお父さんでは、もうなくなっていました。なんだろう、にこやかなおじちゃん。
いろんな話をして。家族みんなのそれぞれの話をしました。いろんな課題がありますね、どうしても。
で、わたしが仕事を辞める話をしたら、案の定反対ですよ。
でももう分かってた。分かってたから、もはやおもしろかった。「お父さんの理想とするお嬢さんにはなれないからごめんよ」とだけ言っておきました。お父さんも反対するけど、わたしが言うこと聞かないの、分かってたな。一応いろいろ合理的な反対の理由を言ってたので、とりあえず聞いておきました。
やっぱりこういうところは相容れないわね。
で、ひとつだけ、どこに落としこんだらいいのかわからない気持ちがあって。
母方の祖父とお父さんは仲が良かったんですが、最期のお別れがちゃんとできていないこと、本当に残念がっていました。これだけは本当に申し訳ないというか、でもどうしようもなかったし、いかんともしがたい。しばらく自分の中に泳がせておこうと思います。
そして。お父さんは離れたところから、わたしたちが楽しく暮らせているか、本当に心配していたようです。
でも、「じゃあまた一緒に暮らそうよ」、とは、とても言えない。まだみんなは気持ちが整っていないから。
まあ本当にたくさんのことを話してみて、いままでとげとげしてた気持ちが、まるくなりました。こんなにおだやかな気持ちになれるなんて、思ってもみなかった。
いま、あらためて思うこと
・時間薬とはいうけれど、本当にそれはある。わたしもお父さんも、お互いに絶対角が取れたもん。
・小さいころから、もっといろんな話をしていれば、ここまですれ違うことはなかったのかもしれない。
・わたしは別にお父さんと仲が悪かったわけではないかも。ただ単に「お嬢さま」を押し付けられるのがいやだった。
・やっぱり子どもは親の不協和音には敏感だ。
・親はやっぱり子どものことを一番に考えてくれている(虐待とかがないならばね)。でも、それを子どもが納得する形で伝えることは、むずかしい。
わたしだけは、またしばらくしてからお父さんと会おうかな、と思っています。
この一歩を踏み出せたこと、本当によかったです。自分で自分をべたぼめ!