自分を見つめる

大阪の地下鉄を乗り回していたあの頃

わたしはもうずっと、大阪の地下鉄が好きで。

先日久しぶりに大阪のいろいろなところに足を運んでみました。
いつもなら、御堂筋線にしか乗らないのですが。
行きたいホテルがあったので、今回は他の線にも乗ってみました。

いいですね。やっぱり、大阪市営地下鉄、たまらないわ。

そうね、一番好きなのは、やっぱり一番乗ることが多かった御堂筋線。
カラーは赤。戦隊モノでも絶対的メインの存在ですが、大阪地下鉄界でもそんなポジションですね。新大阪・梅田・なんばといった主要駅を通る唯一の黒字路線(最近はどうなんでしょう?)は、人の入れ替わりが多くて活気があります。

ところが。一本乗り換えると、一気に雰囲気が変わります。
これがまた、もうなんとも言えず、よい。

かっこいいブルーの四ツ橋線、住之江公園に近付くにつれて高まるおっちゃん感。
谷町線は紫っていうのも暗いのに、うにうに線路も曲がっていて、なんだか偏屈なかんじで。
千日前線はピンクでかわいいと思いきや、ホームが数両分余っていて(たぶん最初の頃は10両編成とかだったのかな?)、余っているところは柵で入れなくなっているんだけど、駅名の看板だけ真っ暗な中に残っているのが、なんともノスタルジー。ほんと暗い。

全体的に暗さを存分に感じるんだけれども、それでもいろんなカラーの電車が、それぞれの路線のディープさを背負って大阪の地下を走っていると思うと、とっても、わくわくする。

ああ本当にたまらない。

………

こんなにも地下鉄が大好きになったきっかけ。

それはひとえに、おじいちゃんがいたからです。

わたしのおじいちゃんは新聞記者でした。
趣味はおさんぽ、山登り。
歩くことのポテンシャルが半端なく高いおじいちゃん。大阪に遊びに行くと、おさんぽのお供はいつもわたし。ペース早いし、なによりも距離があんまり長いので、いつもへろへろになりながら、ついて行っていました。

あるとき、なんかの用事があって、おじいちゃんと地下鉄でお出かけをしました。
そしたらおじいちゃんは、改札で係員のところへ行き、あるものをもらったのです。

そしてなんだか満足げな顔をして戻ってきたので、わたしはなにかスペシャルで面白いものをもらってきたに違いないと思って、なになに早く見せてよ、と急かしたら。

時刻表でした。

なーんだ時刻表か、と思いつつも、それを満足げに手帳に挟んでいる姿が、なんか宝物を手に入れた風で、ちょっとうらやましくもありました。

その後また別の機会に、一緒に地下鉄に乗ったとき。
またもやおじいちゃんは、改札で係員のところに立ち寄り、時刻表をもらってきました。

またもらってるよ〜なんて思ったけど、またもやどこか得意げ。
べつに、この前とおんなじでしょ?なんて思いながら見せてもらったら。

カラーリングが違ったんです。
路線が違うから。

これでわたしは一気に心奪われました。
前回は御堂筋線だから赤、今回は谷町線だから、紫。
なんてかっこいいんだ!
半ば興奮気味に電車に乗ったときに、改めて路線図を見てみると。

いっぱい色あるぞ…!

じゃあ、じゃあ、長堀鶴見緑地線の駅でもらったら黄緑??堺筋線なら茶色?

そうや、とおじいちゃんは言います。

欲しい…!全部欲しい…!

こうして、時刻表集めの旅がはじまりました。

………

どこに行くか。決め方は、日によって全然違っていました。

”図書館に用がある” ”今日は咲くやこの花館にスケッチしに行こう”というような、
目的地ありきの決め方。

”大阪ビジネスパーク” ”天神橋筋六丁目”といった、
やたら長い駅名を持つ駅に行ってみる、とか。
だって時刻表の表紙に駅名をどう収めるのかが気になるんだもん。
(ちなみに大阪ビジネスパークはOBP駅ってなっていて、こんなんあり??ってなった記憶が…)

あとは、路線と路線がぶつかる乗り換え駅。
両路線分の時刻表をもらうと、同じ駅名で、色違いがそろう…!

時間がある日は、各路線の終点まで足を伸ばしました。

電車に乗っている道中、何をしていたかというと、ひたすら路線図の暗記をしていました。
一番難しかったのは、なんといっても谷町線。
長いし、駅名読めないし(野江内代とか太子橋今市とか)。
おじいちゃんはわたしが暗唱しているのを隣で聞いて、詰まるとヒントをくれました。

今はもう順番通りには言えないけれど、駅名を聞けば何線かくらいは思い出せます。

………

こうして、小学校3年生時代の夏休み・冬休み・春休みは、ほとんどが地下鉄めぐりの旅になっていました。

4年生になって、時刻表が厚みのある束になって、お気に入りのキティちゃんのきんちゃく袋に入らなくなったころ。
母に、これ夏休みの自由研究にしたらいいわよ、と言われ。
言われるがままに路線図を書き、降りたことのある駅にシールを貼り付けていきました。


わたしは、別にこんな風にまとめてもねえ。って思っていたけれど。
降りた駅のあまりの多さに、母や先生などの大人たちはみんなびっくりしていました。そして、おじいちゃんすごいね、元気だね、こんなについてきてくれたんだね。と、おじいちゃんの健闘も称えてくれました。

当時は全部当たり前だと思っていたので、特別なことをやり遂げた感は一切ありませんでした。地下鉄がおもしろくて、時刻表が欲しいから、乗って回っているっていうだけ。

でも、いま思い返してみると、結構変態ですよね。
わたしも、おじいちゃんも。

………

大阪の地下鉄はもう制覇したと言えるレベルに達したので、
せっかくなら普段から時刻表集めをやってみたいと思って、東京で試みたこともあります。

でも違った。東京メトロは、ちょっと広すぎる。
明るすぎる。人が多すぎる。

東京に住んでいる人ならば、”仄暗さは東京メトロにもあるでしょ”と思うかなと思います。それは、わたしも感じます。すごくきれいな駅もあれば、いかにも下町って雰囲気の駅もあるし。東京メトロもなかなかおもしろい、とは思うけれど。

ちょっと自分の日常に近すぎるのかもしれないな。

それに。
やっぱり、時刻表はおじいちゃんと一緒に集めたい。
駅名の暗唱以外になにを話していたのか、あんまり思い出せないけれど。
時刻表をあれだけ宝物に見せてくれるのは、おじいちゃんしかいない。

自分ひとりだけで時刻表をもらっても、それはただの時刻表でしかなくて。

だから、東京では時刻表を集められませんでした。

………

いま思い返すと、この時刻表集めの旅があったから、わたしは電車がすきになったし、出掛けることもすきになったし、フットワークが軽くなった。なにかを集める楽しさも知った。

ここにわたしの基礎が詰まっているのかもしれないなあ。

おじいちゃんとは、中学生になったくらいからはあんまりしゃべらなくなってしまって。おさんぽも一緒に行かなくなって。もう、なんともったいないことをしたんだ、わたし。

いま、一緒にビールとか飲めたら、最高だよなあ。

とりあえずお礼言っておこう。おじいちゃん、ありがとうね。