百貨店時代のお話し

退職騒動の先にあったもの

引き留める一番のきっかけになった先輩から、この前メールが来ました。

「大丈夫?腐ってない?」

いろんな思いが頭をよぎったけれど、結論、今は腐ってない。でも腐ってない理由は、とてもメールでは語りきれない。

とりあえず「わたしは元気ですよ〜!」と返したら、「いや、元気なのは知ってる笑」って返ってきて、ああやっぱりこの先輩にはずっと正直でいようと思いました。

もう、辞めちゃうもんね!と思ったきっかけ

わたしは今、百貨店に勤めています。中でも今の会社を選んだ理由はいろいろとありますが、わたしの夢「自分のお店を持つ」ための過程にもなる、という点も大きくて、入社を決めました。

しかし入社して以来ずっと、「ここには長居できない」という思いがありました。

昇進を求められるからです。その昇進試験は一定年数勤めたら受験資格を得られるのですが、大卒総合職組は受けて当然、という流れがずっとありました。それをどうしても受け入れられなかった。

昨年の秋、いよいよ試験を翌年(つまり今年)に控え、いよいよ思い詰めていた頃。

正直、会社の方向性に対して、ものすごいフラストレーションを溜めていました。

なんで、もっと店頭に注力しないのか。面白い施策や商品はコストの関係で激減。働き方改革ばかり叫ばれて、でも減らない仕事。減らそうとしないのは、現場の人じゃなくて事務所で働く本部の人。言ってることがトンチンカンすぎる。

そんな中で、年末繁忙期に向けた大団結会を開催したのですが。

そこでの部長職以上のおじさん勢の振る舞いに、ほとほとがっくり。さらに最後、ものすごい勢いで怒られるという理不尽な結末となってしまいました。

今まで準備してきたのは何だったんだろう、この人たちを喜ばせるためにやっているの、意味あるかな?というか、こんな人たちがこの店の方向性を握っていて、たぶんこんな人たちは他にも社内にたくさんいて、果たしてこの時代を乗り切れるのか?

そう思ったら、片付けながらすごい泣けてきて、

ひととおりこっそり泣いてみたら、自分の中の糸が切れていました。

最初は、このおじさんたちだけに対して糸が切れたんだと思ったのですが、日に日に会社の方向性に対するあれこれがどんどん気になって、もう目ざわりに感じるレベルになったとき、

ああもう辞めどきだ、そう思いました。

きっかけって、本当に些細なことですね。一致団結するはずの宴会で、退職に向けたスイッチが入ってしまいました。

順調に辞めることを報告していたのに…

まずは母親に報告。絶対に応援してくれる存在です、本当にありがたい。

続いて、直属の上司にも報告。そして人事担当のマネージャー、仲の良い同期にも報告しました。

直属の上司は、日中だけでは話が収まりきらなかったので、飲みに連れ出してくださいました。面白い人で、今までの上司の中で一番好きな人です。すごく残念がっていましたが、最終的には後押ししてくれました。

次に報告したのが、冒頭の先輩です。

この方はわたしが新入社員の時、付きっきりで育ててくださった方です。自分の仕事を後回しにしてまで、わたしにいろんなことを伝授してくださいました。この先輩にも、早い段階でお話ししておきたかったので、伝えたのですが。

後日、LINEが届きました。「出向募集の案内、見た?」と。

わたしはその案内をタイトルだけ見て中身を見ていませんでした。辞める人間には関係のない話だからです。でもその先輩は、わたしがやりたいことがこの案内の中にあるよ、と譲りません。そしてその内容は、たしかに面白そうなものでした。

ただ、もう辞める話は通っていて今更それを止めることはもう出来ないし、出向したとしても帰社して数年は今の会社に還元しないといけないわけで、それをやり切る自信がない。そう言ったら、「もっと自分勝手に生きて良いんだよ」と言われました。

そこから数日考えましたが、やっぱりいくらなんでもそれは出来ない、そう思い、募集エントリーを見送りました。

辞める話を取り下げた、そして、辞められなくなった

見送って、その旨を先輩に報告もして、ひと安心。
その後、上司の上司や部長陣にも呼び出され、一人ずつと話をしました。

「あなたの強みは何なの? この会社で、どんな結果を残してきた? 外に出て大丈夫? アピール力が弱すぎるんじゃないの? もっと修行積んだら?」

そんなことを言われまくる日々で、だんだん自分のことがよく分からなくなっていってしまいました。自分は、根拠のない自信と「やりたい」っていう気持ちだけで、こんなに突っ走って良いのだろうか。

そんなある日。

まさかの、出向再募集がかかったのです。さすがにこれはご縁があるのかも、と思ってしまった自分がいて、それに気付いた時、どうにもならなくなりました。その日の夜、先輩からも連絡がきて、もうこれは受けなさい、それしかないよ。と言われ、わたしの気持ちも固まってしまったのです。

こうして、今までに報告してきた人たちに頭を下げまくって、出向のエントリーをさせてもらいました。ちなみに退職後のバイトもほぼ決定していたのですが、それも辞退させていただきました。

選考の結果は3月中旬に出ることから、「エントリー=もし出向できなくても来年度はこの会社にい続ける」、ということを意味しました。最後の最後、エントリーシートの送信ボタンを押すまで悩みましたが、勢いでボタンを押しました。

これでもう、辞められなくなったのです。

結果としては、その後の人事部との面接で、過去最高のダメ出しを受けることとなりました。あんなに突っ込まれて、あんなに悔しい思いをしたのは初めて。まあ今思えば、本当にブレブレの状態で臨んだから当然です。

面接の直後、先輩は飲みに連れ出してくれた

たまたま面接会場と先輩の勤める店舗が近かったので、面接後、そのまま飲みに行きました。面接中からずっとぼろぼろ泣いていて、終わってからも泣いていて、先輩と会ってからもずっと泣いていたわたし。

とにかく悔しかった。

自分の言葉で自分のことを表現しきれないこと。自分のことを自分がまるで理解していないこと。ここまでの判断も、全部ブレにブレまくっていて、何も貫き通せなかったこと。自分を信じ切れなかったこと。

先輩と話したら少し落ち着きました。でも正直、何を話したのかも覚えていません。それでも、あのタイミングで連れ出してくれたのは救いでした。

ずっと落ち込んでもいられない!

あの面接の日以降、仕事に対していよいよ向き合い方がわからなくなる日々でした。だから、考えることを辞めて、自分が任されている範囲の仕事に対するクオリティを上げることだけ実践していました。

そしたら、元々好きな仕事なだけあって、だんだん楽しくなってきました。ほんと、単純ですね。自分でもあきれちゃう。

こうして気持ちが復活してきたところで、今のこの状況を逆手に取れないか? そう考え始めるようになりました。

それで思い立ったのが、セミナーに参加すること。その時に参加したイベントが、塩谷舞さん×龍崎翔子さん×矢島里佳さんによる、「#文化を育むビジネス」でした。

#文化を育むビジネス年末からたのしみにしていたイベント、ついに先日参加してまいりました! 塩谷舞さん、矢島里佳さん、龍崎翔子さんによる”文化を育むビジネス...

会社の外には、いろんな世界が開かれている。すごい人が山ほどいる。わたしは、それをよく知らないままに会社を辞めようとしていた。なんて浅はかなんだろう。

会社にいながら、勉強できること、たくさんあるじゃん!

こうして今は、会社にいることの経済的メリットを全力で享受しながら、オンラインサロンで活動したり、SNSで発信したり、ブログを書いたりしています。

動くこと、それしかない

会社であれだけのことを経験して、情けない思いをして、でもそれでも腐らなかったのは、目の前にあることをやり続けたから。とりあえずでもいいから、ちゃんと向き合った。そしたら少しずつ状況と気持ちが変わってきて、今はとても良い状況に引き上げることができました。

世界がすこしばかり広がって、たくさんの仲間もいる。

「ね、こうやって社畜は会社を辞められないんだよ」、

そう思うかもしれませんが、わたしは虎視眈々とチャンスを狙っています。必ずしも派手に動くことが全てではない。今までの人生、割と決断は直感型、しかも0か100かで決めてきましたが、ようやく大人になってきたようです。50とか30を受け入れられるようになってきた。そんなわたしを自分で認めてあげます。

いつ辞めるのか、もうわかりません。でも、立ち止まってなんかいない。

これからも動き続けます。自分のお店を持つために。