評価なんて、上司によって変わってしまうのは仕方がない。
今まで、そう割り切って働いてきました。
でもやっぱり評価ひとつで、仕事に対するモチベーションって変わるものですね。
勤務先では、評価の機会が設けられていて、それがボーナスの額に反映される仕組みがあります。わたしは今までお給料のことをあまり気にしていませんでしたが、この評価でボーナスの額が大きく変わることを今更ながら感じた時に、
上司が正当に評価できる仕組みは今、この会社にあるのか?
と、疑問に思ってしまいました。
せっかくなので、どうしてそう感じたのかを書き留めておきます。
前提;評価の仕組み
・チームとしての売上目標
・チームの中での個人目標
・個人目標
この3軸の達成具合がそれぞれ評価され、総合評価が出る仕組みです。
評価する人は直属の上司。
上司が定めた評価は、上司の上司による承認を経て確定します。
疑問① 売上予算の正当性
どういう理屈で、どういう見込みがあって、この予算設定なのか。
高い予算を設定するのは、わたし自身目標を高く設定したい派なのでかまいません。
ただ、評価における予算達成率のウエイトが大きいので、ある程度現実的な予算でないと、ただ単にボーナス額を落とすための策略なのか?とか考えてしまいます。
疑問② 個人目標という、有って無いような評価軸
個人目標は「結果が数値となって表れるもの」で設定することが評価者・被評価者ともに重要なポイントになります。「がんばります」からの「ちゃんとがんばりました!」ではお話しにならないわけですから当然です。
とは言え、この数値の目標が立てづらいのです。
わたしのチームの中には色々な役割の方がいます。リーダー職なら「担当商品群の売上前比103%」「在庫高5%減」とか言えるのですが、販売専門職だとそれが難しい。わたしのチームは商品特性上、個人の売上高をデータで拾えないため自己申告に頼る状況で、結果過小評価になりがちです。忙しくて販売点数なんて数えてられないからね。
そうすると、おのずと数字が簡単にわかる業務で目標を設定することになり、本人がやっていきたい本心とズレる場合が多発しています。
せっかく目標を立てるなら、やりたいことを目標にしたいですよね。
(会社にはやりたいことがない人が多数いるのも事実ですが…)
疑問③ 評価者がちゃんと被評価者を見きれているのか?
「わたしの上司が全然ちゃんと見てくれない」という文句を言いたいのではありません。
冒頭にも書いた通り、上司は一人ずつ評価するわけですが。
評価するためには「目標を設定するために話し、目標を定めたらちゃんと出来ているかフォローし、期末に評価する」という業務が発生しているのです。
ところがこの業務に対してかかる時間と気力について、会社側がしっかり認識していない現状があります。
今所属しているチームは100名ほど在籍しています。さらには、店頭での販売が中心となるチームなので、上司が100人に対してしっかり向き合う時間を設けることの難易度は非常に高い状況です。
一方、3年前に所属していたチームはバックオフィスだったので、メンバーがたったの4人。つまり被評価者は3人だけでしたし、時間の融通も利く環境でしたので、日頃から目標について話せていました。
こうやって比べてみると、ちょっと不平等感がありますね。
百歩譲って、環境与件によって評価の内容の濃さに差が出るのは致し方ないことですが、その評価がボーナスの額に直結するのって、上司の責任、すごい重いですよね。
結論;大きい会社だから仕方がない
諦めることにしました。わたしが考えたところで、変わるわけでもないですし。評価者側にはなりたくないなという思いが高まるのみでした。
今の上司には本当にお世話になっていて、これ以上上司の負荷を増やしたくないので、上司にとって分かりやすい目標設定をしようと思い直した次第です。
本当は、やりたいことや悩みを話したいけどね。
良い子ちゃんを辞める!って決めていたけど、会社にいるなら良い子ちゃんが賢い選択なんだなあ。今回、良い評価をもらったのですが、やりたいことをやって得た評価じゃないからあんまりうれしくなくて。突き詰めて考えちゃいました。
良い子ちゃんとして会社をうまく利用するのか。
気持ちのねじれに正直になるのか。
今日のところは、「評価者側になりたくない=昇進したくない」という思いを再確認できたので良しとして、またゆっくり考えていきます。